新元号が令和と発表された数日後、家で購読している毎日新聞に坂本八満宮のことが載っていました。
なんでも令和の元となった万葉集の梅花の歌(ばいかのうた)
初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す
は大伴 旅人(おおとも の たびと)の邸宅で催された宴の様子をうたっているとのこと。
その大伴 旅人の邸宅が坂本八満宮の近くにあったのではないかということです。
坂本八満宮は大宰府政庁跡(福岡では都府楼跡とよく呼ばれています。ちなみに西鉄大牟田線では都府楼前駅という駅があり、そこが最寄り駅ではないかなと思います)の近くにあります。
そちらのほうに昨日と、その一週間前の二回、行ってきました。
案内図です。
水城跡、大野城後、九州国立博物館(太宰府天満宮のすぐ近くです)、国分瓦窯跡、筑前国分寺跡など、このように近くにはいろいろ観光できる場所があります。
坂本八満宮には専用の駐車場があり、車は40台ほど停まります。
駐車場の場所がわからないというときはこちらを参考にどうぞ。
ちょうど花見の時期なので、こうした案内図が表示されています。
梅、桜、そしてこれからは藤がきれいな時期です。
その駐車場の目の前に坂本八幡宮があります。
こちらは中から撮った写真です。
神社の方とお話をしたのですが、令和の元号が発表されてから訪れる人がかなり増えたそうです。
わたしは毎日新聞で知りましたが、西日本新聞、読売新聞、朝日新聞など様々な新聞でも坂本八幡宮のことが取り上げられているみたいですね。
坂本八幡宮の解説などもあり、
大伴旅人の歌なども飾られています。
坂本八幡宮の御祭神(ごさいじん)の応神天皇は仲哀天皇(日本武尊 ヤマトタケルの子)と神功皇后の子です。三韓征伐のときにうみ(福岡県粕屋郡宇美町)か蚊田(筑後国御井郡賀駄郷か筑前国怡土郡長野村蚊田)で生まれたと言われています。
余談ですが、神功皇后は住吉神社(福岡県福岡市博多区)で三韓征伐の神託を受けたとかも伝えられています。
朝の七時ごろいったのですが、それでもかなり人が多く、写真撮影をされている方もかなりいました。
時期的にとても桜がきれいでした
太宰府は太宰府天満宮をはじめとして、自然が豊かな観光名所があるため、福岡にいらしたときにはおすすめの場所だと思います。
韓国の方や中国の方などの観光客もかなり多いですね。
なので案内図にも英語だけではなく、漢字はもちろんですが、ハングル語も表記されています。
おまけ
先日行ったときは令和の額が置いてありました。
自由に写真撮影ができるそうで、これをもって写真を撮ると官房長官になった気分を味わえました
※5月1日に追記
5月1日、新元号が令和となりました。
御朱印をもらうために、朝早くから坂本八幡宮へ。
六時過ぎに着いたのですが、すでに長蛇の列ができていました。
テレビ局のカメラもいました。
ちなみに御朱印は九時の予定だったのですが、予定が早まり印刷のものは早めにいただけました。
書いてもらうほうは予定通り九時からです。
今日はこの後予定があるので、印刷のものだけもらうことに。
しばらく待ち、坂本八幡宮の御朱印をいただきました。
ピンボケして見にくいですが、一枚五百円です。
印刷したものも、手書きのものも五百円でした。
連休明けの今日7日昼ごろ、再び坂本天満宮に行って来ました。
連休の初めの5月1日とは様子が違い、人出もやや少なかった。
車も坂本天満宮まで入れるようになっていましたが、坂本天満宮の前の駐車場が閉鎖されていました。
お参り行くと、50人位が二列に並んでお参りをされていました。
御朱印を発行しているテントもなく、ひっそりとして、元に戻った感じでした。
賽銭箱がなく、賽銭口と書いてある所にお賽銭を入れて、お参りをしました。
5月7日以降は世話人はいませんと云う看板が立っており、本当に誰もおられなかったです。
連休明けで人出が少ないのかと思いましたが、
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